アルバム『Gの洗礼』は空前絶後の大傑作アルバムに?

さよならOP-1

【2018年7月に手放したシンセOP-1】
まず、ぶっきらぼうに話の主旨を先に述べておきますと、先月になりますが、長年使いこなしてきた、“愛して已まない”小型シンセ、Teenage Engineering OP-1を手放しました。繰り返します、手放しました。もう手元にありません――。この度手放すのは断腸の思いでしたが、これには事情があります。

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私がOP-1を2011年に購入し、実際に使い始めたのは2012年の頃でした。初期の作品としては、「Evenly」とか「Pomegranate」というのがあります。久しぶりに聴いてみると、最初にOP-1を手にした頃の、そのシンセに対する直感的なイメージをサウンドに踏襲して再現しているのが分かります。つい先日アップしたばかりの「健脚ブリーフ」との作風を比較すると、元々OP-1の個性としての“電子楽器”たる趣は、古風な電子音を象徴としたところにあるととらえ、私の好みとして見事に合致し、あのような初期の作品が生まれたのだと思います。それから使い込んでいるうち、紆余曲折制作に臨むスタイルが変遷し、「健脚ブリーフ」のようなリズム主体のスタイルに定着していったことは、まさにOP-1が拡張性に富んだ比類なきシンセであることが証明されていると思います。

そのOP-1を手放した理由は、しごく簡単。あまりにも“使い良すぎる”OP-1に頼りすぎ、作風が固定化、盤石化していくことのおそれ。そして最も大きな理由としては、作品を今後上げていく上で、アラカルト的なシンセの役割の、“新旧交代”を図りたかったから。
これについて具体的に述べると、今後は、作品づくりにおいて、OP-1が担ってきた役割をある意味引き継いだ形で、ELEKTRON DigitoneやIK Multimedia UNO Synthでおこなっていくということ。特にアナログ・シンセのUNO Synthには、個人的に期待が大きいです。これらを本当の意味で使い倒すためには、OP-1と“訣別”するのがいちばん望ましいのではないか、という判断でした。なので、OP-1が決して悪いわけでもなんでもなく、本当に断腸の思いなのですが、個人的な創作上の決意表明としての結論です。どうかご理解下さい――。

これまでの6年間の、OP-1の思い出を語るとするならば、いろいろあります。劇的だったのは、何回目かのOSアップデートで、音色プリセットががらりと総入れ替えされた時でしょうか。良くも悪くもこの時が分岐点でした。
そのOSアップデートが何年前のことだったか、はっきりと思い出せませんが、初期の音色群の、いわゆる古風な“電子楽器”的な特徴(=アナログ・シンセの古めかしく危ういポリフォニック・サウンド!)がものの見事に中身から消え去って、新しい音色プリセットに置き換わった時、ほとんど使い勝手として、軽妙なリズムマシンと化した変容は、ちょっと衝撃が走りました。この時、このシンセを使う方向性が、明確にリズム主体にあると定まったのは今でも憶えています。

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3年前に制作した「OP-1を使ったサウンド・インスタレーション」の全9曲も、自分にとっては格闘の痕跡となりました。あの頃のデジタルI/OはMOTU 828x。ミキシング時のプラグインは、J37 Tape→CLA-2A→API 550Bといったひな型。マスター・トラックにはEMI TG12345を挿して整えるといった感じで、OP-1のレンジ感の強いざらついたサウンドを引き出していた、ように思います。これは「健脚ブリーフ」におけるNeveとSSL 4000Eのチャンネル・ストリップを通したサウンドとはまったく異なります。OP-1一つだけみても、サウンドには試行錯誤の変遷がある、ということになります。

6年というこの歳月、OP-1と共に自身の創作意欲が掻き立てられ、大いに邁進できたことは言うまでもありません。OP-1にはいくら感謝の意を述べようとも語り尽くせません。本当に有り難い、貴重な6年でした。
さらなる前進のために私はOP-1を手放しましたが、小型でありながらクリエイターの心を掴み取るOP-1というシンセは、より多くの作り手のもとで今後も、新しい作品が世に生まれることでしょう。私にとっては本当に善き相方でした。さようなら、さようなら、OP-1。またどこかで会いましょう。

最後に補遺。
実はこの数ヵ月の間にレコーディングした、フル・アルバム『Gの洗礼』用の、OP-1を使った“未公開”の曲が、なんとまだ眠っています。そのストックされている曲がアルバム完成の暁に、きっとお披露目されるはずです。どうかその時までお楽しみに――。

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