「CHIBUSA」について

即興曲「CHIBUSA」を公開しました。

この曲の即興は、「PLUME」で使用したソフトウェア[Bloom]によるもので、iPodでのフィンガー・コンタクトによって独特の旋律と音の溶け合いが特徴です。
普段私はiPodは使用していません。ですので、この[Bloom]を使用する時に限り、バッテリーをチャージします。

ヴォーカル・パフォーマンスで使用したマイクロフォンは、audio-technica AT4047/SVです。中域がしっとりと前に出る特性があり、私の好きなマイクロフォンです。

「CHIBUSA」は《抽象》と《具象》とを行き来する表現になっています。まず芥川龍之介「女体」の短篇小説があって、そこからinspirationを得た《抽象》と《具象》という意味です。気になるのは何処が具象の部分に当たるのか、ということですが、なんとなく…これではないのか? と小説とこの曲を併せて鑑賞してもらうことに意義があると思うので、敢えて答えは伏せておきます。というより、答えは聴く人の、聴く度の中にある、ということで楽しんでいただければいいのではないでしょうか。

しかしそれにしても、芥川の「女体」は私にとって衝撃的な作品でした。仮にそれが、あの時代の自然主義文学に位置する習作であったとしても、です。

つまり、彼が原稿に書き記した語句――うす赤い柘榴の実――があったからこその「女体」であり、むしろ固有の“女体”を示唆しているのだと思われます。


実は先々週、東京国立博物館の特別室にて「美術解剖学―人のかたちの学び」の展示を鑑賞しました。芸用解剖学に関わる森鷗外の記述資料、そして黒田清輝の裸体画(素描・習作)。
欧米ではダヴィンチの手稿が有名ですが、個人的には、1887年のイードワード・マイブリッジの「アニマル・ロコモーション」(あるいはそれ以降の彼の作品)が革新的だったと感じます。
マイブリッジにとって、それ以前のダゲレオタイプにおける風俗画こそ革新的であったわけですが、「アニマル・ロコモーション」の具体化で裸体への眼差しが美術解剖学へと連動していったことの功績は大きいはずです。

そして大正6年の芥川は、それを“うす赤い柘榴の実”と比喩する。

それは自然主義の解体だったのか。限界だったのか。

実際のところ、私自身の“女体からのinspiration”は、まったく尽きることがないのです。


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